こんにちは。教室長の越智です。
そよら今治の目の前に新しく開校した今治の個別指導の学習塾、「天馬学舎」のブログ〈天馬行空〉を読んでくださり、ありがとうございます。
さて、何をテーマに書こうかなと思ったのですが、
やはり塾名の由来からでしょう!ということで暫しお付き合いくださいませ。
◆開業準備
塾名の由来は親兄弟はもちろん、開業にあたりお世話になった方々にも最初に聞かれることです。
学習塾を開業することは決めていたものの、テナントを見つけないと何も始まらないということで、今治市内をぐるぐるリサーチしていると、すぐにそよら今治の目の前という好立地のこのテナントを発見!
今治西中も近いし、ちょっと観察していると今治市内の学生さんの憩いの場になっているではありませんか!!
しかも自分の大好きなサイゼリヤもあるし100均もダイソーとお隣のコープさんにセリアもあって超便利!!!
気分転換にしまなみバッテイングセンターに行ってリフレッシュもできる♪(中学生時は野球部でした)
「ここしかないッッ!!」と胸が高鳴りましたが、その時は他の企業さんが事務所として入居中…、、、定期的にチェックすること約1年、運よく入れ替わりで入居することができました。
◆馬越町の地名の由来と歴史
「そよら今治」の目の前、馬越町にある今治の個別指導の学習塾・天馬学舎ですが、
立地や地域の歴史とのつながりも、この塾名に深く関わっています。
それは私自身が歴史好きということもあって、馬越町の歴史や地名の由来をネットで検索してみたところから始まりました。
「神仏探訪記」というサイトが目に留まり記事を読み進めると、「馬越」の地名の由来は鯨山古墳(ガストの裏)の上に建てられている安養寺と三島神社の歴史やこの地域に残されている伝承によるもののようです。また三島神社といえば、伊予国一宮でもある大三島の大山祇神社が三島神社の日本総鎮守という深い関係にあります。
あれ?なんか馬越町は大山祇神社や越智氏の歴史とかなり関係があるな〜、と
この時は軽い気持ちだったのですが、更に読み進めてみると以下の繋がりが見えてきました。
・私が生まれ育ったのは大三島、大三島といえば大山祇神社
・大山祇神社には大山積神(天照大神のお兄さん)がお祀りされていて、その子孫の乎千命/小千命(おちのみこと)が大山祇神社を大三島に勧請した
(乎千命は大山祇神社の象徴でもある大楠を御手植えされたと伝えられている)
・その乎千命は越智氏の氏神であり、鯨山古墳に埋葬されたと伝えられている
・鯨山古墳を作ったのは「越智国造(おちのくにのみやつこ)」という地方豪族
FC今治のエンブレムの由来
大山祇神社の神紋は隅切折敷縮三文字(すみきりおしきちぢみさんもじ)で三島神社の神紋でもあり、大山祇神社の氏子である越智氏の家紋でもあります。また越智氏を祖先とする河野水軍の河野氏も同じ家紋を使っていました。河野氏と姻戚関係になった村上水軍の来島村上家の家紋は「折敷に三文字」と共通点が見られます(河野氏は河野通信の時代に「折敷に三文字」へと変わっています)。
そしてその意匠をエンブレムのデザインとして使っているのがJ1昇格を目指して戦っているFC今治です。瀬戸内海に面した伊予国の今治の歴史を背負って夢を叶えてもらいたいですね。詳しくは先ほどご紹介した「神仏探訪記」をご覧ください。

隅切折敷縮三文字
(すみきりおしきちぢみさんもじ)
◆偶然を超えた“馬”とのご縁
ここまで来るともう偶然の領域を超えています。
自分が小学生だったら夏休みの自由研究で題材にしていたでしょう!
という冗談はさておき、あとはもう流れるままです。
今治には市の天然記念物に指定されている野間馬という日本在来馬がいますし、ここでも「馬」🐴
更に自分自身が午年生まれということもあって、ここでも「午(馬)」🐴
もうこれは運命、必然ですね(笑)
「馬」という漢字を使うのが確定した瞬間でした。
ちなみに天馬学舎のロゴの天馬は野間馬をイメージして、西高時代から仲の良いデザイナーさんに作ってもらいました。ちょっとマルっとしていて愛嬌のある感じが気に入っています。
◆天馬に込めた想い
そして学習塾のイメージも必要ということで「子供たちに夢や希望に向かって自由に羽ばたいてほしい」という想いを込めて中国の故事成語の【天馬行空】から「天馬」をあやかることにしました。
・地域の歴史と私自身のルーツ
・子供たちへの想い
・「学びの舎」でありたいとの想い
その3つを込めて《天馬学舎》と名付けました。
さて、天馬学舎の名前の由来はいかがだったでしょうか?
今治で学習塾や個別指導塾を探している方に、少しでも天馬学舎の雰囲気が伝われば嬉しいです。
次回は、私自身の勉強法や中学時代の体験について書きますので楽しみにしていただければと思います!


